2010年10月02日
私について
この記事を書いている今は2013年ですが、ブログをはじめた翌日の2010年10月2日の事として書きます。
私は他県出身ですが、某私立大学に招聘される形で群馬にやってきました。
大学はレベルが低く、日本人の学生よりも留学生の方が多いような有り様でした。
日本語をまったく勉強していない彼らを前に講義をするのは、大変な労力が必要で、同僚だった先生方も、次々と辞職されて行く中、私だけが残りました。
留学生のほとんどは、一二回講義を受けた後、いなくなりました。聞けば、夜の街や盛り場、中古車の解体現場などに働きに行っていたのだと、後から聞きました。
そんなある日、大学に、腰縄を持った入国管理局に人たちがやってきました。
中国人留学生の一人が売春で捕まり、その仲間を連れにやってきたとのことでした。
まさかこんな事が……と思うより、いつかこんな事が起こるのではないか、と心配をしていた、その通りになってしまいました。
あるとき、私は、挙動の怪しい女子留学生に対し、「お金よりも自分の体を大事にしなさい」と注意したことがあります。
彼女は私を睨んだ後、「先生が口を出す話ではない」とばっさり切り捨てました。
留学生にとっては、自分の体なんかよりもはるかにお金の方が大事だったようです。
呆れてものが言えませんでした。
というより、日本と中国の貞操観念に対する違いを思い知らされた一件でした。
私自身も、彼らの出席状況を把握するために、入管に呼び出しを受け、裁判でも証言いたしました。
結果として、私は二年でその大学を去りました。
留学生の件でもそうですし、日本人学生のレベルも低く、学校の運営方針についても納得ができず、あまりにも非常識な事が多かったからです。
同じ県内には、私の経験などを上回る、もっと酷い大学があるそうです。
想像を絶することが行われていたようです。
その大学で教鞭を執る講師や教授たちを前にして、たかが留学生が腰縄をつけられて連行される様子を見ただけでショックを受けたとは言えません。
それでも、群馬が好きです。
この地に骨を埋めたいと思っております。
現在はまったく別の仕事に就きましたが、もと准教授という思い出は残しておきたくて、ブログをはじめました。
たまに准教授時代の思い出を語ることもあるかもしれませんが、その時はどうか温かい目で見守ってください。
私は他県出身ですが、某私立大学に招聘される形で群馬にやってきました。
大学はレベルが低く、日本人の学生よりも留学生の方が多いような有り様でした。
日本語をまったく勉強していない彼らを前に講義をするのは、大変な労力が必要で、同僚だった先生方も、次々と辞職されて行く中、私だけが残りました。
留学生のほとんどは、一二回講義を受けた後、いなくなりました。聞けば、夜の街や盛り場、中古車の解体現場などに働きに行っていたのだと、後から聞きました。
そんなある日、大学に、腰縄を持った入国管理局に人たちがやってきました。
中国人留学生の一人が売春で捕まり、その仲間を連れにやってきたとのことでした。
まさかこんな事が……と思うより、いつかこんな事が起こるのではないか、と心配をしていた、その通りになってしまいました。
あるとき、私は、挙動の怪しい女子留学生に対し、「お金よりも自分の体を大事にしなさい」と注意したことがあります。
彼女は私を睨んだ後、「先生が口を出す話ではない」とばっさり切り捨てました。
留学生にとっては、自分の体なんかよりもはるかにお金の方が大事だったようです。
呆れてものが言えませんでした。
というより、日本と中国の貞操観念に対する違いを思い知らされた一件でした。
私自身も、彼らの出席状況を把握するために、入管に呼び出しを受け、裁判でも証言いたしました。
結果として、私は二年でその大学を去りました。
留学生の件でもそうですし、日本人学生のレベルも低く、学校の運営方針についても納得ができず、あまりにも非常識な事が多かったからです。
同じ県内には、私の経験などを上回る、もっと酷い大学があるそうです。
想像を絶することが行われていたようです。
その大学で教鞭を執る講師や教授たちを前にして、たかが留学生が腰縄をつけられて連行される様子を見ただけでショックを受けたとは言えません。
それでも、群馬が好きです。
この地に骨を埋めたいと思っております。
現在はまったく別の仕事に就きましたが、もと准教授という思い出は残しておきたくて、ブログをはじめました。
たまに准教授時代の思い出を語ることもあるかもしれませんが、その時はどうか温かい目で見守ってください。
Posted by 子猫山ネココ at 14:21│Comments(0)
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